8-1.日本国憲法下で実施された衆議院解散はすべて無効です
憲法に規定されている衆議院議員の「任期」と「解散」について
憲法は次のように規定しています。
憲法第45条
「衆議院議員の任期は、4年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。」
憲法第54条
「衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
② 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
③ 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。」
第54条の規定からわかることは、次の2点です。
- 衆議院解散によって衆議院議員不在の期間が生じることになり、その期間中に国に緊急の必要があるとき、内閣は参議院の緊急集会を求めることができるが、この措置は臨 時のものであって次の国会開会の後10日以内に衆議院の同意がない場合、その効力は失われます。
- 第2項の規定により衆議院議員が不在になる期間が生じるのは解散の場合に限られ、任期満了日後の衆議院議員不在が生じる事態は憲法違反になります。
「任期満了」の意味の常識
weblio辞書によると任期満了とは、職務に就く定められた期限が到来して期間が終わること
と説明されています。
任期満了日の翌日午前零時に資格者がいなくなるため、任期満了日前に次期資格者を決めるのが法の常識です。
検証1:衆議院解散は総理大臣の専権事項ではありません
衆議院解散は総理大臣の専権事項と国全体で言っていますが、国民が選挙で選出した議員に任期4年を負託したにもかかわらず衆議院議員全員の任期を総理大臣の権限で一方的に短縮するのは、民主主義に反するし任期4年を負託した国民の主権侵害にもなります。
1.憲法第7条天皇の国事行為の中に「衆議院を解散すること」が規定されていますが、先ずは天皇の国事行為に用いられる「詔書」から検証していきましょう。
「詔書」について日本大百科全書は次のように説明しています。
天皇が発給する最高の文書。
古代の律令(りつりょう)体制のもとで公式令(くしきりょう)にその規定がみえるが、近代では1907年(明治40)2月制定の公式令によって書式、発布手続が規定された。
それによれば、詔書は皇室の大事を宣布し、践祚(せんそ)、即位、宣戦、講和、帝国議会召集、衆議院解散など天皇大権の施行に関する勅旨を国民に宣布するものとされている。
形式は、天皇が親署し御璽(ぎょじ)を捺印(なついん)、皇室関係のものは宮内(くない)大臣が年月日を記入し、総理大臣とともに副署する。
大権施行に関するものは総理大臣が年月日を記入し、他の国務大臣とともに副署する。第二次世界大戦後の日本国憲法のもとでは全面的に廃止され、ただ国会召集、衆議院解散など、天皇の国事行為の範囲に限って詔書の形式が用いられている。
解説からわかることは、大日本帝国憲法下では衆議院解散は天皇大権に属しその施行は勅旨を詔書によって国民に宣布することで衆議院解散の効力が生じました。
第二次世界大戦後の日本国憲法のもとでは天皇大権は全面的に廃止されましたが、天皇の国事行為は「詔書」の形式を用いて国民に宣布しています。
憲法第7条(天皇の国事行為)について、「内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う」と規定していますので、国事行為は国民に向けての宣布であることを規定していることになります。
従って、衆議院解散の国事行為は衆議院議員に向けての行為ではありません。
2.次に憲法第69条と第7条の関連を検証しましょう。
第69条の規定は、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」です。
第69条の規定を順に追うと第一段階として衆議院で「内閣不信任決議の可決、または内閣信任の決議の否決があること」
次に第二段階として「その後10日以内に衆議院で衆議院解散決議」があること。
衆議院解散は衆議院議員全員に利害が及ぶため憲法第56条、第57条の要件を満たした決議が必要です。
第56条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
② 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。第57条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
② 両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
③ 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
次は第三段階として憲法第3条の「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」の規定により、天皇が衆議院解散の国事行為を行うには事前に内閣の助言と承認が必要になります。
内閣からの助言と承認を得て天皇は憲法第7条3項の衆議院解散の国事行為を詔書により行うことになります。
ここまでの手順が完了して衆議院解散になります。
憲法第3条及び第69条を解釈するうえで問題になるのが、「承認」の意味です。
「承認」は、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「承認とは、一定の行為又は事実の存在を許諾又は肯定すること。」です。
衆議院で上記第一段階、第二段階の決議があったという一定の行為又は事実の存在を内閣が承認した後に天皇が衆議院解散の国事行為をされるという手順になる憲法の規定が、なぜ「衆議院解散は内閣総理大臣の専権事項」と解釈されることになるのでしょうか?
検証2:衆議院解散が総理大臣の専権事項とされ続ける根拠は何か?
最高裁判所昭和35年6月8日大法廷は、次のように判決しました。
本件の解散が憲法7条に依拠して行われたことは本件において争いのないところであり、政府の見解は、憲法7条によつて、すなわち憲法69条に該当する場合でなくとも、憲法上有効に衆議院の解散を行い得るものであり、本件解散は右憲法7条に依拠し、かつ、内閣の助言と承認により適法に行われたものであるとするにあることはあきらかであつて、裁判所としては、この政府の見解を否定して、本件解散を憲法上無効なものとすることはできないのである。
この裁判の裁判官は、裁判長裁判官 田中耕太郎、裁判官 小谷勝重、島保、斎藤悠輔、藤田八郎、河村又介、入江俊郎、池田克、垂水克己、河村大助、奥野健一、高橋潔、高木常七、石坂修一ですが、判決は、裁判官として憲法の規定に基づいて判断したのではなく解散を憲法上無効にできないのは、「政府の見解を否定できないから」でした。
判決文10頁に『憲法7条に所謂「助言と承認」とは、語義からいうと助言及び承認の二つの言葉 にわけて解釈すべきもののように見えるが、同条が天皇の国事行為につき内閣の助言と承認を必要としたのは、天皇は単独で国事行為を為さず、内閣の意見すなわち内閣の決定した意思に基いて行うことを意味するに過ぎないものである』と述べていますが、この解釈は誤っています。
「助言と承認」は、憲法第3条「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」を意味しています。
法解釈するに当たっては、関連する法律や条文、さらには語彙の解釈を総合的に網羅して判断しなければいけませんが、最高裁大法廷は憲法第3条の規定と関連していることに理解が及ばないばかりか、「内閣の助言と承認」を「内閣が決定した意思」にすり替えて判断しています。
最高裁大法廷のこのような落ち度を許してはいけません。
判決文中の「天皇は単独で国事行為を為すことができない」からという表現は、「天皇と内閣が一体となって衆議院の解散を決定したという意」になりますが、憲法第73条内閣の職務に衆議院の解散は規定されていません。。
「政府の見解を否定できない」という理由は、裁判官に三権分立の原則の自覚が欠如していることを示しています。
憲法76条3項及び第98条は次のように規定しています。
第76条3項
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その規定に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
「詔勅」とは、デジタル大辞泉によると「詔書・勅書など、天皇の意思を表示する文書の総称」と説明しています。
以上から最高裁大法廷という多数の裁判官が「憲法及び法律のみ」に拘束されている自覚がない上に、政府の身勝手な憲法解釈に対して憲法第69条、第7条及び第3条の規定から論理的に導いた理由を示すことができずに、「政府の見解は否定できないから、本件解散を憲法上無効にできない」と判決した無責任な原因もあって、今日まで延々と衆議院解散は総理大臣の専権事項として国民の税金を無駄遣いしてきました。
憲法の解釈は万人が納得し受け入れられる内容でなければならず、政府の利己的な解釈を否定できないというのは、最高裁裁判官としての義務を放棄したに等しい行為になります。
ジャンプ前に戻る検証3:過去の衆議院解散詔書の実例
1.大日本帝国憲法時代の衆議院解散詔書
大日本帝国憲法の該当部分は次の通りです。
第7条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
大日本帝国憲法に基づいた衆議院解散詔書は次のとおりです。
国務大臣は大日本帝国憲法第55条により、天皇の御名御璽の後に副署しています。
2.昭和22年5月3日日本国憲法施行後、最初の衆議院解散詔書
日本国憲法施行後第1回目の任期満了日が昭和26年4月25日なのにそれよりも2年以上も前に第2次吉田茂内閣は、「衆議院において、内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第69条及び第7条により衆議院を解散する」という内容で昭和23年11月9日に衆議院解散の詔書が宣布されましたが、なんと天皇の御名御璽の後に総理大臣一人が署名しています。これはおかしいと思いませんか?
出典:上記衆議院解散詔書
詔書に「内閣不信任の決議案を可決した。よって内閣の助言と承認により、日本国憲法第69条」と記載されているのには、解散をめぐる憲法解釈についてGHQと下記のようなやり取りがあったからでした。
第2次吉田内閣は少数与党政権であったため、早期に衆議院解散総選挙の実施を目指したが、解散にあたって、GHQ民政局が内閣に衆議院を解散する権限は無いとする解釈を開陳した。
吉田内閣は憲法7条第3号に基づき、衆議院の解散権は内閣の権限であるとしていたが、民政局は憲法69条に基づき、内閣不信任案が決議されない限り、内閣は衆議院を解散できないと内閣の権能を限定的なものとする解釈を主張し、双方の主張は平行線をたどった。
結局、吉田内閣はマッカーサーを間に調停をする形を取り、GHQのウィリアムズ国会課長の第4回通常国会で補正予算の成立後、野党の提出した吉田内閣不信任案を可決し、政府に衆議院を解散させるという調停案を引き出すこととなった。
だが、社会・民主の両党(野党側)は昭電疑獄に対する国民の猛反発から次期総選挙での敗北は予想されるところであり、内閣不信任案の審議・投票中はみな意気消沈し、一方不信任案成立によって「NO」を突きつけられた筈の民自党(与党側)がみな狂喜するという通常とは正反対の事態が繰り広げられたと言う。このため、「馴れ合い解散」と呼ばれている。
出典:解散をめぐる憲法解釈
大日本帝国憲法下での衆議院解散は天皇の命令でしたが、民主主義を理念とする日本国憲法では、衆議院解散は民主主義に則った第69条が規定されているのですから、第2次吉田内閣は少数与党政権だからといって、第7条の「内閣の助言と承認」の文言が、憲法第3条の「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」を意味していることを理解できずに衆議院解散を閣議で決定できるとした判断は憲法違反です。
第69条の「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」の「衆議院で」は、どの言葉にかかっていくかを理解しなければいけません。
「衆議院で」が最初にかかる言葉は「不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」で、これだけでは衆議院解散もなく内閣総辞職する必要もありません。
次に「衆議院で」の言葉は、「10日以内に衆議院が解散されない限り」にかかり、この意は衆議院議員による衆議院解散議案の上程がなかった時または上程されても決議が否決された時は、内閣は総辞職しなければならないです。
調停という手法は「譲歩」という手法を用いて主義の一部または全部を曲げて他の意見に従う結果を招きます。
吉田内閣は「調停」という手法をとることによって衆議院解散を強引に行いましたが、この解散は憲法第69条に違反しているので無効です。
調停という手法によって憲法違反が容認されることは、法治国家を否定する行為です。
昭電疑獄を抱えていた社会・民主の両党(野党側)は、次期総選挙での敗北は予想されると考え内閣不信任案の審議・投票中はみな意気消沈していたということですが、与党よりも野党の議員数が多いのであれば意気揚々と内閣不信任案に投票し、その後10日以内に衆議院解散の議案が上程されたときは、解散反対の投票をして解散が否決されれば内閣総辞職で済む問題でした。
与党野党を問わず国会議員が憲法を正当に解釈できない一端を示していますが、それは今日まで延々と続いている現象でもあります。
3.最近の解散詔書の実例
国立公文書館が公文書特別展示会に展示した中に最近の衆議院解散「詔書」がありました。
憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」、第4条に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定されています。
この詔書の形式は、天皇が衆議院解散を宣布し、総理大臣一人が副署していることを示しています。
天皇に衆議院解散の命令権はなく、また憲法第72条及び第73条規定の内閣総理大臣および内閣の職務に衆議院の解散権はいずれにも規定されていません。
したがって、この詔書は憲法第98条第1項により無効です。
検証4:衆議院解散詔書にはどのような事項を記載すべきか
日本国憲法下の衆議院解散の場合、天皇の御名御璽の前に次の経過が表示されていなければいけないと思います。
- 年月日に衆議院で内閣不信任の決議案を可決、又は信任の決議案の否決があったこと
- 年月日に衆議院で衆議院解散の決議があったこと
- 内閣全員の署名があること(天皇の国事行為については事前に内閣の承認が必要なので内閣全員の署名)
- 年月日
- 日本国憲法第7条により衆議院を解散する。(上記1~4の記載は必須で詔書に記載されていなければ天皇は内閣の全員が責任を負うという証明なしに国事行為を行うことになりますので、このような詔書は無効です。)
- 御名御璽
- 年月日(この日付が衆議院解散日になります。)
衆議院解散時の詔書朗読によると、紫のふくさに包まれた解散詔書が、官房長官から事務総長を通して衆議院議長に伝達され、議長が衆議院議場で「憲法7条により衆議院を解散する」と解散詔書を読み上げると衆議院が解散される次第になっています。そしてこの時慣例として議員は「万歳三唱」をしています。
衆議院で解散詔書読み上げに至るまでの流れを見ると滑稽としか言いようがありません。
この流れは衆議院解散を天皇が衆議院議員に宣布し、議員がそれを受け入れるという光景になります。
大日本帝国憲法時代から今日までの衆議院解散の経過は、衆議院解散時の詔書朗読と万歳のタイミングに詳しく書かれています。
検証5:衆議院解散一覧表
日本国憲法施行当初から今日まで延々と衆議院解散が総理大臣の専権事項とされ、内閣が解散を承認したとして憲法7条解散が公然と容認されてきたことは、立法府に携わる国会議員が憲法を正当に解釈できない事実の証明になります。
1948~2021年までの73年間に26回の衆議院総選挙(解散25回、任期満了1回)が行われました。
73年間が任期満了による総選挙であった場合、選挙回数は18回です。
選挙総数のうち7回分(任期満了の1回を除く)は、国民の税金が無駄に使われたことになりその損失は多大で、内閣の責任は重いです。
過去の衆議院解散の一覧表は下記の通りです。
2021年には、解散問題の他に任期満了日以降に衆議院議員不在という前代未聞の事態が起こりました。
冒頭にも記載しましたが、憲法第45条及び54条の規定により憲法上も法令の解釈上も任期満了後に衆議院議員不在は憲法違反になります。
見出しの背景がの出典:衆議院解散一覧表>
見出しの背景が の出典:衆議院解散一覧表>
見出しの背景がは、当サイトが加筆しました。
第25回解散の欄は、憲法に違反し無効であるとして提訴され、昭和35年6月8日に最高裁大法廷判決がありました。詳しくは最高裁大法廷判決の検証を再度お読みください。
検証6:任期満了日を自由に変動させることは認められません
4年前に選出された衆議院議員の任期満了日は、2021年10月22日午後12時です。
岸田総理大臣は10月14日に閣議決定で衆議院を解散し、19日公示、10月31日総選挙を実施しましたが、その根拠が公職選挙法第31条2項の規定ということのようです。
公職選挙法(総選挙)
第31条 衆議院議員の任期満了に因る総選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行う。
2 前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から23日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から24日以後30日以内に行う。
3 衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から40日以内に行う。
4 総選挙の期日は、少なくとも12日前に公示しなければならない。
5 衆議院議員の任期満了に因る総選挙の期日の公示がなされた後その期日前に衆議院が解散されたときは、任期満了に因る総選挙の公示は、その効力を失う。
第2項「任期満了日による総選挙日程が国会開会中又は国会閉会の日から23日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から24日以後30日以内に行う」の規定は、4年の任期満了日前に次期衆議院改選総選挙を実施しなければいけないという法の趣旨に反するので第2項は憲法第98条1項により無効です。
第5項は、任期満了日まで30日を切っている段階で衆議院解散を優先させるのは任期満了日前の総選挙実施が不可能になり、第5項も憲法第98条1項により無効です。
任期満了日が直前であるという次期は、「任期満了による総選挙」も「衆議院解散による総選挙」も現衆議院議員全員が議員資格を失うことに変わりがないのに、任期満了日後の衆議院解散による総選挙実施も認められると考えて第2項や第5項を規定したのでしょうが、国会議員の法律用語の常識の欠如以外に「衆議院解散」の執着心の強さに呆れます。
2021年の選挙を振り返ってみても任期満了日が目前というのに議員全体がのんびりしていて、立候補しようと考えている一人一人が国の「未来像」や「様々な問題点の改善や解決するための構想」等の発言もほとんどなく、国民の投票意欲は減退するばかりです。
2021年衆議院総選挙投票率は、戦後3番目に低い55.93%でした。
投票率の結果について松野官房長官は、「国政選挙において投票率が低いことは残念で、総選挙によって示される国民の意思は今後の政府の方向性を決めるものであることから、できるだけ多くの有権者の皆様に投票に参画していただくことが重要だと考えている。」と述べていますが、とても無理な話です。
ところで菅総理(肩書は当時)は、2021年9月11日付け日本経済新聞によると月刊誌「文芸春秋」のインタビューで次のように語ったとのことです。
10月22日の任期満了日が目前であれば任期満了に伴う選挙日程を考えなければいけないのに「衆議院解散を自分の手でやってみたいとは、ずっと思っている。」の発言は、憲法の規定を解釈できない一端を示していますが、上記衆議院解散一覧表からも明らかなように総理大臣になると衆議院総選挙実施は「任期満了」ではなく、「衆議院解散」で名を残したいということなのでしょう。
検証7:公職選挙法第31条2項、第32条2項の任期満了日を任意に変更させる規定は憲法第98条1項により無効です。
前項で触れた第31条は、「附則(平成9年12月19日法律第127号)抄」で平成9年に改正されましたが、下記国会審議内容を読むと憲法第46条「参議院議員の任期は、6年とし、3年ごとに議員の半数を改選する。」を解釈するに当たっての理解が欠如していることがわかります。
下記のような審議は無意味で任期満了日前に総選挙を実施するのが法の原則です。
下記国会審議は、第141回国会 参議院 選挙制度に関する特別委員会 第4号 平成9年11月26日ですが、その一部を下記に抜粋しました。
皆様には是非とも第141回参議院第4号全文に目を通して国会議員の審議から内容の是非を感じていただきたいと思います。
002・須藤良太郎
○須藤良太郎君 投票時間の延長、不在者投票事由の緩和等によりまして投票環境を向上させるという政府案には賛成でございます。ただ、来年の参議院の通常選挙の期日等につきまして質問いたしたいと思います。
まず大蔵省主計局にお尋ねしますが、平成四年から通常国会は一月後半に召集されまして、召集日に予算書が提出されるということになっておるわけであります。このうち、これまで最も早い召集日は一月二十日ということでありますけれども、この一月二十日よりも一週間程度前に予算書を出すことができないかどうか、伺いたいと思います。003・川北力
○説明員(川北力君) 予算書の作成の日程について御説明申し上げます。
予算の概算閣議決定から予算の国会提出までの作業に要する日数を見てまいりますと、例年、年内編成の場合ですと二十日間以上を要してございます。平成九年度予算の場合、今先生御指摘がありましたように、十二月二十五日の日に概算閣議をいたしまして一月二十日の日に国会提出させていただいたということでございます。
お尋ねは、これを一週間程度早めることができるかということでございましたが、概算閣議の後、予算書作成までにもろもろの作業がございまして、作業日程上、一週間ということになりますと対応は難しいということを申し上げざるを得ないところでございます。004・須藤良太郎
○須藤良太郎君 一週間程度早めるのは非常に難しいということでございますが、年内に予算編成ができれば、仮に来年の召集日を、ちょうど月曜日が十九日でありますけれども、十九日ということに仮定した場合に、これに予算書を間に合わせてもらえるかどうか。005・川北力
○説明員(川北力君) 切り詰めた日程で作業させていただいておりますが、今年、平成九年度予算と同様十二月二十五日の日に概算閣議決定という予算編成となった前提で申し上げますと、一月十九日という御趣旨を踏まえまして、政府として最大限努力することになるというふうに考えております006・須藤良太郎
○須藤良太郎君 次に、自治省にお尋ねしますけれども、仮に一月十九日に召集されることを前提といたしまして、会期延長がなく六月十七日が閉会になるわけでありますけれども、来年の参議院の通常選挙は、この場合に投票日はいつというふうになるのか、伺いたいと思います。007・牧之内隆久
○政府委員(牧之内隆久君) 参議院の通常選挙は、公職選挙法三十二条の第二項によりまして、参議院閉会の日から三十一日以後三十五日以内の間に行うということになっておりますので、仮に六月十七日に閉会となりますと、七月十八日から七月二十二日までの間に行うことになります。七月十八日が土曜日、七月二十二日は水曜日でありまして、この間の日曜日は七月十九日のみとなるところでございます。008・須藤良太郎<
○須藤良太郎君 十九日ということでありますけれども、来年のカレンダーを見ますと七月二十日は月曜日で、これが海の日ということで休みになるわけでありまして、大部分の学校が七月十八日の土曜日に終業式をやって七月十九日以後は休みと、こういうふうに思います。しかも、土曜日が休日でありますので勤労者にとりましては三連休、こういうことになりまして、そのちょうど中間の日に投票ということになりますと相当投票率に影響がある、下がるんではないかと、こういうふうに懸念するわけであります。
そこで、まず過去に連休中に国政選挙の投票日を設定したことはあるのかどうか、この点について伺いたいと思います。009・牧之内隆久
○政府委員(牧之内隆久君) 戦後におきましては、衆議院総選挙、参議院通常選挙につきまして連休日に選挙期日が設定されたことはございません。010・須藤良太郎
○須藤良太郎君 七月十九日は避けるべきだと思うわけでありますし、また夏休みに重ならないように七月十二日に投票日を設定すべきだと思うわけでありますけれども、現行法ですと七月十二日に投票日を設定することはできない。七月十九日と、こういうことになるわけでありますけれども、これを現行法で七月十二日に設定するということはできないのかどうか、お伺いいたしたいと思います。011・牧之内隆久
○政府委員(牧之内隆久君) 先ほど申し上げましたように、現行法では国会閉会後三十一日以後三十五日以内ということになっておりますので、仮に七月十二日を投票日にセットするということにいたしますと、六月七日から六月十一日の間に国会が閉会をするということでないとこういう状態にはならないということでございます。
国会の会期は百五十日と定められておりますので、解散あるいは会期の延長等がない場合は一月九日から一月十三日の間に国会が召集される必要があるということでございまして、そういう召集が無理であるということになりますと、現行法を改正しないと七月十二日の期日設定はできないということになろうかと存じます。012・須藤良太郎
○須藤良太郎君 現行法ではできないということでございますので、私の試算では、公職選挙法三十二条二項の規定で閉会後三十一日以降と、こうあるものを、一週間早めまして二十四日以降とすれば七月十二日の日曜日の投票日設定は可能ではないかと、こういうふうに思われます。この点についてと、今回このように改正しておきますと、今後、夏休み中の投票日は避けられるんではないかと、こういうふうに思うわけでありますけれども、この点はいかがでございますか。013・牧之内隆久
○政府委員(牧之内隆久君) 仮に六月十七日に国会が閉会するといたしますと、御指摘のような改正を行いますれば、選挙を行うべき日は七月十一日以降となりますので、七月十二日を投票日とすることは可能であります。
また、今後通常選挙が未来永劫にわたってどうなるかということにつきましては点検をいたしておりませんけれども、従来どおり一月二十日ごろ召集をされて六月十七、十八日のあたりに国会が閉会するということになりますれば、この七月十二日前後が投票日に当たってくるのではないかというふうに考えております。014・須藤良太郎
○須藤良太郎君 それでは確認しておきますけれども、二十四日以降と、こういうことに改正するということは、いわゆる選挙管理執行上、問題ないというふうに考えてよろしゅうございますか。015・牧之内隆久
○政府委員(牧之内隆久君) 二十四日以降というふうに改正をされますと、国会の閉会日から公示までの間が、これまでの最短十三日から最短六日間に短縮をされることになります。この間に、選挙管理事務といたしましては、ポスター掲示場を公示日までに設置をしなければなりませんし、また投票場入場券に選挙期日を印刷して準備をするといったような事務が出てくるわけでございます。六日間ということで確かにタイトにはなりますけれども、事務処理を工夫することによって管理執行に支障なく準備できるのではないかというふうに考えております。
(施行期日)
第1条 この法律は、平成10年6月1日から施行する。ただし、目次の改正規定(「開票所の取締」を「開票所の取締り」に、「選挙会場及び選挙分会場の取締」を「選挙会場及び選挙分会場の取締り」に、「当選証書の付与及び告示」を「当選証書の付与」に改める部分に限る。)、第31条第2項、第32条第2項、第58条、第74条及び第85条の改正規定、第105条の見出しの改正規定及び同条第3項を削る改正規定並びに第108条の改正規定並びに次条第2項及び附則第3条の規定は、公布の日から施行する。
公職選挙法第31条及び第32条の規定は次のとおりです。
公職選挙法
(総選挙)
第31条 衆議院議員の任期満了に因る総選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行う。
2 前項の規定により総選挙を行うべき期間が国会開会中又は国会閉会の日から23日以内にかかる場合においては、その総選挙は、国会閉会の日から24日以後30日以内に行う。
3 衆議院の解散に因る衆議院議員の総選挙は、解散の日から40日以内に行う。
4 総選挙の期日は、少なくとも12日前に公示しなければならない。
5 衆議院議員の任期満了に因る総選挙の期日の公示がなされた後その期日前に衆議院が解散されたときは、任期満了に因る総選挙の公示は、その効力を失う。(通常選挙)
第32条 参議院議員の通常選挙は、議員の任期が終る日の前30日以内に行う。
2 前項の規定により通常選挙を行うべき期間が参議院開会中又は参議院閉会の日から23日以内にかかる場合においては、通常選挙は、参議院閉会の日から24日以後30日以内に行う。
3 通常選挙の期日は、少なくとも17日前に公示しなければならない。
検証8:公職選挙法第17章補則に第256条及び257条が規定されているのはなぜ?
公職選挙法第17章補則に第256条「衆議院議員の任期の起算」及び第257条「参議院議員の任期の起算」の規定があります。
公職選挙法第17章補則
第17章補則(衆議院議員の任期の起算)
第256条 衆議院議員の任期は、総選挙の期日から起算する。但し、任期満了に因る総選挙が衆議院議員の任期満了の日前に行われたときは、前任者の任期満了の日の翌日から起算する。(参議院議員の任期の起算)
第257条 参議院議員の任期は、前の通常選挙による参議院議員の任期満了の日の翌日から起算する。但し、通常選挙が前の通常選挙による参議院議員の任期満了の日の翌日後に行われたときは、通常選挙の期日から起算する。
皆さんはこのようことを規定していることに疑問を感じませんか?
立法府に携わる国会議員の法知識が、最低限の法律の原則すら知らないことに驚きます。
任期の開始日は民法第140条により初日不算入が原則です。従って総選挙期日の翌日から起算することになります。
民法第六章 期間の計算
(期間の計算の通則)
第138条 期間の計算方法は、法令若しくは裁判上の命令に特別の定めがある場合又は法律行為に別段の定めがある場合を除き、この章の規定に従う。(期間の起算)
第139条 時間によって期間を定めたときは、その期間は、即時から起算する。第140条 日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。ただし、その期間が午前零時から始まるときは、この限りでない。
(期間の満了)
第141条 前条の場合には、期間は、その末日の終了をもって満了する。第142条 期間の末日が日曜日、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)に規定する休日その他の休日に当たるときは、その日に取引をしない慣習がある場合に限り、期間は、その翌日に満了する。
(暦による期間の計算)
第143条 週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
2 週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了する。
第256条は常識では考えられない内容です。
- 規定の「任期は、総選挙の期日から起算する」は、総選挙当日午前零時には衆議院議員が決まっていないのにまた職務を何一つ行っていないのに、議員資格を有すると考えること自体大きな過ちです
- 規定の「任期満了に因る総選挙が衆議院議員の任期満了の日前に行われたときは、前任者の任期満了の日の翌日から起算する。」は、民法第140条による常識はあえて規定する必要のない事項です。
よって、第256条は全文不要な規定です。
第257条も第256条と同じ理由で不要の条文ですが、特に参議院の場合は任期満了前に総選挙実施が鉄則です。
衆議院総選挙一覧表にあるように三木総理は任期満了日1976年12月10日に対し5日前の1976年12月5日に総選挙を実施しています。良識あるスケジュールです。
岸田総理は、任期満了日まで30日を切っているのに無効な衆議院解散をして任期満了日後衆議院議員不在という事態が生じました。前代未聞のことです。
検証9:参議院通常選挙についても第1回から確認してみましょう
出典:参議院議員通常選挙一覧表
実施時内閣欄のみ出典は参議院議員通常選挙です。
見出しの背景がは、第一期のみ任期が3年になる議員で次回以降から任期6年になる議員です。
憲 法
第100条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
② この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。第101条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立していないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。
第102条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。
- 注1:憲法第100条2項により任期開始日は日本国憲法施行日の1947/5/3午前零時になり、任期満了日は、民法第140条の初日算入規定により5月2日になります。
- 注2:憲法第101条からわかるように憲法施行時に参議院が成立していないときは成立するまで参議院議員不在が認められますが、参議院成立後は憲法第46条により参議院議員の半数の不在も認められません。
ところが日本国憲法施行後最初の改選の1950年は、5月2日までに次期議員の改選を実施しなければいけないのに実施したのは6月4日です。
1月以上も参議院は機能しない事態になりました。内閣の責任が問われる事件です。 - 注3:憲法を順守した選挙実施です。
- 「×」印は、任期満了日後に通常選挙が実施されました。内閣の責任を問う事件です。
日本国憲法施行日以降今日まで参議院議員の任期開始日は5月3日、任期満了日は5月2日で固定していなければいけないのに、一覧表をみてわかるように任期満了日後に通常選挙を実施したり、任期開始日が初日不算入または初日算入の区別もできない国会議員の法の原則の無知に呆れます。
ま と め
衆議院議員の定数は465人です。これだけ多数の議員がいるのですから「衆議院で内閣不信任の決議案を可決し、又は内閣信任の決議案を否決したときは」、内閣総辞職して新たに内閣総理大臣を選任し内閣を組閣して国政を運営していただきたいと思います。
第69条は、内閣が衆議院で不信任の決議案を可決、又は信任の決議案を否決されたとき、10日以内に衆議院解散決議をすることを認めていますが、解散の通称名を見ると国民を軽視して憲法の規定を正当に解釈できない総理大臣一人の利己的な考えで衆議院解散が実施されている現状は憂うべき事態であり、国民は税金の無駄遣いをされていることに気づかなければいけないと思います。
冒頭にも記載しましたが、憲法第54条の規定から衆議院解散は衆議院機能停止期間が生じることになり、国に緊急の必要があるとき内閣は参議院の緊急集会を求めることができても、この措置は臨時のものであって次の国会開会の後10日以内に衆議院の同意がない場合はその効力が失われるため、この期間は国政が不安定になることを国民は認識する必要があります。